2015-09-14

ぼんとこ北欧生活 ~Humans in Linköping vol.1~

Leo@Linköpingです。元気でやっています。


*少し近況報告

Linköpingは、リンシェーピン、リンショーピンなどと発音されます。首都・ストックホルムから南西に、電車で2時間半ほど行ったところにある、比較的小さな町です。

ここにあるLinköping University(通称LiU)に、僕は派遣交換留学生として1月まで滞在します。現在では、いわゆる新歓時期も徐々に佳境を迎え、クラブ活動も通常の活動に戻りつつあるようです。


VIVA, LINKÖPING!!


こちらに着いてからというもの、

・飛行機の中でアメリカで買ったMonsterの缶(700mlくらいのエナジードリンク)がバックパックの中で全力で爆発してて大切な本がびしょびしょになってたり、

・電車が遅れて部屋の鍵を受け取れなかったり(そのためMonsterくさい僕を、スウェーデン人の友人が泊めてくれました)、

・部屋に着いたら着いたで、ネットは繋がらないわ電球は壊れてるわ毛布はないわMonster臭いわと散々だったり、

どうやら、北欧が僕に拒否反応を起こしているようでした



だけれども住めば都で。生活のインフラが整っているので、特段不便なく、適応することができた気がしています。野菜や肉が高かったり、日本との差異はあれど、まったくもって楽しめる範囲内です。

とはいえやはり、家族や実家の猫、サークルのみんななどを思い出すと、時々恋しくなるのも事実です。日本にいる皆さんからのご連絡、大歓迎ですので、どうぞお忘れなきよう、よろしくお願いいたします:)


ともかく、これからこの大学で5か月間程度、地に足つけて、もりもりと勉強していこうと思います。たくさんの素敵な出会いが、ありますように。


キャンパスは全長1km以上。
自転車は必須アイテムです。




さて、閑話休題。




*Humans in Linköping



僕がスウェーデンに来ている目的の一つは、「しばしば環境先進国と称されるスウェーデンで、環境という概念に対して、国民がどのような価値観や問題意識を持っているのか、調べること」です。

素晴らしい環境政策でも、国民の環境に対する意識が薄ければ、例えば「なんでリサイクルなんかしてまで生活の質を落とさなきゃあかんのじゃ!まとめて捨てさせろ!」ってなってしまいかねないことは、容易に想像できるかと思います。


どうして、スウェーデンは環境先進国になりえたのか。そのヒントを、どんな国民性があったから、どんな共通の価値観があったから、などという、人という視点から考えたいな、と思っています。(デザイン思考を学び始め、その意識が強まる今日この頃です。





その過程で、環境云々を度外視でスウェーデン人(や、ほかのEU加盟国からの留学生)を観察していると、いくつかの特徴が見えてきました。おそらくこれは、スウェーデンに限って起こることではないと思います。が、僕がそう感じたのは事実。まとめてみたらなんだか面白かったので、記事のネタにしてみます。


※ここから、あくまでもぼく個人の主観ですが、断定系で書いている点がいくつかあります。



1.自分主義:まったりとした国民性

これは、人生観、職業観、恋愛観、何もかもに絡んでくる特徴です。

いい意味でも悪い意味でも、全員があらゆることを「”すべき”ではなく、自分が”したい”と思ったからする」ような感覚で、それを基にした社会ができている気がします。


マイペースという言葉では表しきれませんが、モラルとか、恥ずかしさとか、そういうものに縛られる前に、自分がしたい/したくないと思う選択肢を一番初めに持っています。

多くの場合、選択に「(社会的に)すべき」という基準は入ってこず、基準はいつも自分です。個々が独立しています。



…ところで、個々が独立すると、いい依存状態が生まれます。

は?独立→依存って逆だろ?…はい。逆もあります。が、ここで有名な自己啓発本「7つの習慣」の言葉を借りて、説明を試みてみます。

”いい依存状態”と呼んだ相互依存状態は、以下のような理由で、独立した自己同士の前提のもと、成立します。

©Leo Hiramoto


あまり深くは説明しませんが、要は、自己(素直な自分)をコントロールできている二者が協力し合った時が、一番大きな価値を生み出しうる可能性が高いっていう、考え方があるよ、ということでした。


そして、スウェーデンでは何も言わずとも、個人が独立状態にあるわけです。


一般によく言われることですが、日本人は自分の意見を主張することは、何かと失礼に当たるとされる節がありますね。相手のしたいようにすることが思いやり、尊敬だというような、思考です。

しかしこれでは、相手の顔色をうかがうばかり(一種の依存状態)で、自分のニーズや価値のある意見が反映されず、得られることが少なくなってしまうと、僕は思います(もちろん、そう形成される社会のメリットも、あるとは思います)。

(こういうことに問題意識がある方は、ここからの脱却を心理学やカウンセリングの観点から解説しているWebsiteがあるので、こちらをご参照いただけると面白い発見があるかもしれません)




…閑話休題。(2度目)


自分を生きている?独立している?似たようなことを、ブルックリンのおばちゃんの時も同じようなこと言ってたじゃねーか。その通りです、言ってました、ごめんなさい。スウェーデンだけの特徴ではないとは、思うんです。


ただ、ここに絡めて、スウェーデン独特の価値観が垣間見える文化があります。



Fika です。

日本では時々、フィカ、フィーカなどと呼ばれ、カフェの名前にもなっていたりします。


まぁ、コーヒー飲もうや。みたいな、小さなブレイクですね。

スウェーデン人は、これを、何かと理由をつけて、よく開きます。僕ももう何度も、いろんなコミュニティで参加してきました。
どうやら会社では、ワークブレイクに、毎日Fikaが開かれることも少なくないようです。

誰かがオーガナイズ(人を集めて、場所とコーヒーとお菓子の提供)して、来る人も何かしらお菓子を持ってきたりします。特徴的なのが、カフェやお店でやるのではなく、自分たちのスペース(家のリビングや、時には屋外など)で行われることが多い、という点です。

FIKAは、こんな風景です。
ゆったりと、まったりと。


けれど、感覚的なFikaの本質は、疲れたから休憩がほしい~。というブレイクではなく、意識的に人生のスピードを落とすために時間を割くことです。

例えば、Fikaについて書かれたある本では、このように書かれています。
 "Functioning as both a verb and a noun, the concept of fika is simple. It is the moment that you take a break, often with a cup of coffee, but alternatively with tea, and find a baked good to pair with it. You can do it alone, you can do it with friends. You can do it at home, in a park or at work. But the essential thing is that you do it, that you make time to take a break: that's what fika is all about." - Fika: The Art of the Swedish Coffee Break, with Recipes for Pastries, Breads, and Other Treats
そして、この著者が書いているネットの記事でも、このようにつづられています。
 If there is one thing that distinguishes the Swedish coffee break — and the reason people fall in love with it — from our own coffee-consuming traditions in the United States, it's this: Fika is about slowing down. Coffee represents a true break, a moment to sit and contemplate on your own, or to gather with friends. In our own culture, where coffee has come to be more about grabbing a 16-ounce-grande-whatever, in a paper cup to go, coffee is more about fueling up and going fast. In Sweden coffee is something to look forward to, a moment where everything else stops and you savor the moment. In today's modern world we crave a little bit of that; we want an excuse to slow down.
のように紹介されていることから、Fikaの本質がどこにあるか、見えてきますね。


日本ではあまり浸透していない習慣ですが、効率を求めてせかせか働くよりも、仕事に対するMomentumや幸福度を、保つことができそうな気がします。(日本語でも、こんな記事を発見しました)


そして、このFikaの文化が、まったりゆったりとしたスウェーデン人のマイペースさを形作ってる一つの要因なのかもしれません。(…ちょっと無理やりに聞こえるかもしれません。しかし、Fikaを楽しんでいる彼/彼女らを見ていると、そう思えてくるのです)





…というわけで、書いていると長くなってしまったので、ここでぶった切ります。前編はここまで。




後編では、社交性や、人種などについて、書き綴ろうと思います。


それでは。

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