2015-11-15

パリ襲撃テロと、僕の頭の中の話


Leoです。




とても悲しい事件が起きてしまいました。突然のテロというものは、本当に恐ろしいことだと想像します。

パリの襲撃テロのニュースをはじめに見たとき、いろんな友達の顔が浮かんで、どうしたらいいのかわからなくなりました。

すぐに彼らの挙動をFacebookで確認しながら、ニュースを追っかけながら、

あぁ、生きてる、本当によかった。家族や身の回りに被害はなかったかな。彼・彼女らは何を考えているのかな。友達だけでなく、パリに住んでいた人は。亡くなっていった人は。世界中のイスラム教徒は。実行犯は。ダーイシュは。僕に何ができるのかな。何を感じて、何に昇華することができるかな。

…というようなことを、北欧の小さな一室から、悶々と考えていました。


知り合いのフランス人に片っ端からメッセージを送って、彼・彼女らの身の回りの安否を確認しようかな?とも思いましたが、しませんでした。

無論、たまらなく心配であるし、友達が事件に対して何の感情を抱いているのか知りたいし、もし話すことで楽になれたり、なんとか僕が力になれたら、とは思っているのですが、それがどんな恐れで、どんな悲しみで、どんな怒りなのか、顔の見えない指先のやり取りでは分からないと、思ったのが、主な理由です。




再度、友達のポストを確認するため、Facebookのフィードを開くと、フランスの三色に染まった友人の顔たちがそこにありました。

それに対し、ちょっとだけ、疑問符がついてしまいました。
LGBTの時の、カラフルなやつと似たような感覚で、Facebookで一時的にできる意思表明。追悼。祈り。しかも今回は(前回もあったのだろうか)、ワンタッチで手軽に変えられるボタン付き。

最初見たときは、特に何とも思わなかったのですが、バカな頭なりによく考えていると、ん?と、なんか、引っかかる。




みんな、どれくらい思いを馳せたのだろう?

思考の終止符になってしまっていないか?




多くの人にとって、Facebookのプロフィール写真をいじるというのは、少なくとも毎日の日課ではないし、なにかライフイベントがあったときにすること、という認識がある気がします。というか、僕はそんな感じ。

だからこそ、写真をこの機会に変えることは、自分が「何か普段しないことを一つ、した」という体験をもたらしうる行為だと、勝手に思っています。


そして今回のテロは、想像が間に合わないくらい、大きくて悲惨な事件の一つだと思います。そして、この事件のことを「知っている」「同情している」というメッセージを込めて、写真を変えているのだと察します。




だけど、指先一つで「この事件のことに関心を持っていて、知っていて、考えています」みたいな気持ちにさせちゃうこの気軽すぎる機能って…どうなの?

そして、ボタン一つで写真を変えただけで、#PrayForParisって呟いただけで、今後流れるように入ってくるニュースに「おっ」と反応することだけで、自己満足する人を、もしかしたら大量生産してしまうのでは


僕は、僕が、この事件がきっかけで人生が変わった!とか、ダーイシュへの対処を考えるために命を懸ける!とか、なるのかどうかわかりません。いや、ならない可能性が高いです。正直。

だけど、深刻な問題だからこそ、複雑に絡まったことだからこそ、人が亡くなっているからこそ、明日は我が身かもしれないからこそ、こんなシンプルな「知ってるよ、祈ってるよ」を自己満足的に済ませてはいけないと、考えています。


画像を変えて、「よし。」と、勝手に終止符を打ちやすくなってしまったこの風潮は、少し悲しいです。




アメリカ全州でLGBTの結婚が認められたとき、Facebookではいろんな友達が、にぎやかなお祭り騒ぎのように、こぞって、気軽なCerebrationの意思表明をしていたのを知っています。

その時も何かもやもやと考えていた気がするのですが、まぁ理解している人がたくさんいる、応援されてる、うれしい!ってなるのか。と、実際のLGBTの友人に聞いてまわって、その時は納得することにしました。

今回でちょっと自分の頭の中が読み解けた気がします。まだ、もっと深く、考えられるはずですが、一歩前進。



加えて言及しますが、そうしている友人や世界中の人を、否定しているわけではありません。その人が、きちんといろいろと考えたうえで、そうしているのであれば。その人なりに意味があって、メッセージがあって、ただ「何かをした」という経験自体に自己満足をしてしまわないのであれば。






というわけで、以下にいくつかの意思表明を残して、筆をおくことにします。

僕は、

・今は自分のやりたいことを貫徹しながら、同時にこの事件に関するニュースを能動的に仕入れて、自分をUp to dateにしておきます。
・ある程度、今の自分のバタバタが落ち着いたら、有識者による意見や国民の議論を追い、自分はそこから何を考えたのかを整理します。
・周りのフランス人や被害をこうむった人、イスラム教徒など、だれに対してもこの話題をタブー化せず、生の声を(常識の範囲内で)積極的に知ろうとします。




運よくこの記事にたどり着いてくださった少しの方々が、どうか、当事者意識と生の感情を持って、心の底から祈りをささげていらっしゃいますように。


末筆ですが、起こってしまった悲劇の傷が少しでも早く癒えるよう、もうこんな酷いことを起こさないよう、世界の人たちが協力し合えますように。



Leo

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追記の参考記事:
(参考にして書いた、という意味ではなく、似た色を持つ記事を見つけたので、リンクを張っておきます)

あなたがフランスに祈りを捧げる前に知らなくちゃいけないこと。

FBプロフ「フランス国旗化」に対する強い違和感

『Facebook』プロフィールをトリコロールにする前に考えたいこと

代弁されず報道されず死んでいく人たちのこと

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